S.H.くんの経験⑥(指導教室から最後)

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中学生生活で1番長い期間お世話になったのは元の中学校ではなくこちらの指導教室でした。

私自身中学生時代で幼かったこともありあまりこの指導教室について詳細はわかりません。

 

話では私の親が本当によく動いてくれたようで、中学校の問題点を教育委員会に直訴し、所長の方と何度も対談したときいています。もちろん普通に中学入学して卒業すればお世話になる所ではありません。

私の親は見ず知らずの教育委員会へ電話し、状況を説明し、所長に直訴し、何度も改善や現状打開に努めてくれました。

国や県の教育委員会の偉い方と直接対談というのは、緊張やある種の恐怖で本当に逃げたくなったことが何度もあったと言っています。

私の場合は私の見えない所で、親が物凄く行動してくれたお蔭で、現在は通常の人生をおくれています。

 

実に6か月から1年2年以上精神的に追い詰められながらも1人で行動してくれた母親へは頭が上がりません。

片親であるから馬鹿にされる事もあったと聞いています。

当時泣いて帰ってきた姿も見ていますし本当に感謝でいっぱいです。

臆さずに教師・校長・委員会・その他大勢へと行動してくれたのは尊敬しています。

 

そして教室に通う前には面接があり私自身も所長や担当の方と会話したことを覚えています。

私の場合は中学校の内部環境が非常に劣悪であったことや、当時の先生含む校長などがどうしようもないことで入所が決定しました。

 

この教室で同級生となった友達は今も連絡を取り合い特に1番の親友となっています。

周りの状況がかわることにより人は変われます。私の人生の転機はここで訪れました。
ほどほどに勉強をし、ここの友達と卓球などで身体を動かし、在籍していた2年間で徐々に生きる希望が見えてきたんです。

 

そして高校受験前には不登校児受け入れの学校を探し、またしても母親が1人で相手先へ何度も対談に行ってくれました。

私自身も受験前に高校の校長や進路指導の方と挨拶・対談し頭を下げに行きました。

 

偏差値は低いものの私自身が先の教室で希望をもてたこともあり多少勉強に励めたおかげでそこそこのその高校へと合格できました。その高校は商業学校で今まででブランクのある国語、数学、英語などの基本がかけていても新しいジャンルなのでついていけると判断しました。

 

幸運にも私にはピッタリだったようで、今では簿記の検定を多数所持しクラスでも常に上位にいる事ができました。
勿論今でも数学や英語は苦手で物凄く苦労しましたが検定という結果がでるもののお蔭でやる気が起きた結果です。

 

さらに中学不登校3年間(指導教室に通いつつも)毎日触っていたパソコンが特技となり、入部した部活においてとある全国大会で優勝、2年目は2位と好成績を残しています。

 

そんな高校時代を経て今の私がおり、高校を卒業してからは普通の人間と同じように暮らしています。

 

今は少しでも虐めが減るように、また少しでも虐められている方や家族の方の負担が軽くなるように執筆している次第です。

 

私が本当に伝えたい事や虐められた経験があるからこそわかる事を別項目で投稿しておりますので、そちらも目を通していただければ幸いで御座います。

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