S.H.くんの経験①

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私の中学校は4つの小学校から集まる地域では大きい方の学校でした。

小学校では1つのクラスしか無く、昼休みには校庭で遊び皆仲良くしていた思い出があります。
ところが進学し中学校にはいってすぐ周りの友達が変わっていくのを感じたことから私の悪夢は始まりました。

どこにでも1人は、一般的に悪いといわれる人間がいるかと思います。

そうした生徒と同じクラスという理由で関わった皆は悪い方にかわり、休み時間には絶えず陰口や暴言が飛び交いました。
善悪の判断をしっかりもっていた私は1人だけ取り残されていく感覚を本当に強く今でも覚えています。
入学してすぐは私への直接的な被害はなく、授業妨害や爆竹での迷惑行為、ガラス等の備品破壊が頻発しました。
これは誰がみてもいけない行為ことであり、家庭から人としての常識を教育されていた私はそういった悪行の誘いには乗らず距離をとっていました。
今になって思うと向こうからして1人だけ【良い子ちゃん】しやがってとなったのでしょうが、そこから次第に私への虐めというものが始まりました。

中学1年生の1学期後半からです。

登校しても椅子がない。机の中の教科書類も全て無い。
そしてなにが起きているのかわからない私を見て、「死んでこい」「もう来んな」といった罵声。
「死ね」なんて言葉は以前から言われることがあっても、それは私に限ったことでなく日常的な言葉になっていたと思います。

ただし、このことがきっかけで私が【ターゲット】になったことは明白でした。
勿論、先生もいるわけですが「返してやれよ~」の一言で終わりです。
そんな対応で虐めがなくなるわけもなく、エスカレートしていく一方でした。

授業中に物を当てられることから始まり

その後も私物がなくなり、胸倉のネクタイつかまれることなんて優しい方で、
名札のピンで身体を刺されることも多々ありました。それも授業中にです。
休み時間には「ボクシングの練習な」といって軽く殴られ続けることもありました。
やり返したら私も同罪(喧嘩両成敗)だと思う節があったので、親に伝え学校には幾度も抗議しました。
学校はその時虐めていた主犯から私の座席を離し一番後ろの隅へとしました。
そんなことをすれば主犯も当然察しますし、なんでだと騒ぎ立てること案の定です。
授業が終われば「お前チクってるだろ」と殴りかかってきたこともあります。
さすがにその時だけは教科担任が必死にとめにはいりましたが…。

 

その後もひたすら同様の虐めが続き、私は学校に行くことを止めました。

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