不登校でも定期テストを受ける必要がある
ということで、2日から3日に1度夜間に登校しました。
正直なところは勉強どころではなく生徒がいなくとも学校という空間に入ることが物凄い嫌で仕方ありませんでした。
随所で記憶がよみがえってくるんです。
グラウンドでは集団でボールを投げられた記憶もあります。
美術室では筆を投げられ刺された記憶もあります。
非常に鬱状態でありましたが1番最初に申し上げた通りに自己犠牲の精神で人様を第一に考えている私はせっかく先生が夜遅く残って教えると言ってくださっているのだから行かないと申し訳ないと思い我慢をつのらせ静かな学校へ登校を続けました。
登校すると来客用の部屋でスローペースながら勉強を続けました。
担任が数学教師でしたので数学と副担任の英語で2教科でした。
稀に他の先生が頑張っているかと他の教科を教えに来てくれたこともありました。
部活も終わっているということは18時以降で未成年ですから21時には帰宅となり、1時間30分程度だったと思います。
たまに部活帰りにたむろしている生徒がいた場合は徹底的に避けて遠回りして登校したことも覚えています。
放課後に寄り道してたむろすることは校則違反であり当然いけないことですが、私の目には楽しそうに見えて仕方ありませんでした。
なんで自分はこんな人目を避けてこそこそと、ほそぼそと生きているのだろうと思いながらの登校でした。
誰にも会いたくない誰もいてほしくないと思いながらに登校した記憶は今でも覚えています。
自分はなにもしていないのになんでこんなに自分だけ…これは虐められている子の誰でも思うことでしょう。
私も当時は常に思っていました。そして楽しそうに登下校する声を常々恨めしく憎ましく発狂しそうになりながらきいていました。
今でも中学時代は馬鹿やって楽しかったと周りがいうと憎悪の念が湧き上がります。
もう人間的に成長して大人になった今は押し殺すことができますが、本当に当時よく我慢したと思います。
定期テストは(通常の生徒と)同時に受けないといけないというので、明るいうちの登校となりました。
ただし周りが登校し終わってから時間をズラして登校し、図書室で受験するという処置のもと行いました。
そんなことしても教室の窓際には生徒がいるわけで、本当に1度だけ「あいつきてるやん」と騒いでるのが聞こえた時があります。
「自分だって好きできているわけじゃないお前らのせいだ」
と思いつつも今にも襲ってくるんじゃないかと恐怖に煽られてテストを受けてました。
徐々に勉強することができていたもののやはり定期テストにはとてもついていけませんでした。
自分自身で今後はどうなるのだろうという不安が溢れてくるようになりました。
また口だけ達者であった校長含む上層部、開き直る学校、挙句に嫌味を吐く学校に愛想をつかせて教育委員会に直訴していた母親のおかげもあり、
県の教育委員会が開く虐めなどで不登校になった生徒の行く指導教室に通えることになりました。
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